関係性オタクの少年たち闇を突き抜けて解釈
作品全体を通して…
誰もがきっかけ次第で道を踏み外す可能性を秘めており、とりわけ戦争は本人に原因がなくても強制的な絶望を生み、道を踏み外すきっかけが生じやすい。
しかしどんな状況でも生き残ってしまった以上、希望を捨ててはならないというメッセージを感じます。
今年の少年たちは、
人と出会い、人に救われたことで、“闇”から抜け出した少年たちが前を向いていく過程の描写が丁寧で、
まさにタイトルの「闇を突き抜けて」にふさわしいお話だと思いました。
そんな少年たち闇を突き抜けてに関して、
自分のメモ・Xでポストされているレポ・考察ブログなどから情報を収集&整理し、自分なりの限界に到達したので思考の備忘録としてここに残しておこうと思います。
セリフはニュアンスですし、ガバガバ考察や暴論も含みますが、まだまだ少年たちの話がしたい方はぜひお付き合いいただけると嬉しいです!
(間違っている箇所があればご指摘いただけると助かります!)
▼内容をおさらいしたい方はコチラ
■BOY MEETS タイショー
1幕は、タイショーが起点となり、分裂していた赤房と青房が和解していく形で進みます。
赤青和解の過程で、戦争により生きる希望や夢を失ってしまった青房の子らを、
比較的前向きな心持ちの赤房の子らが引っ張り上げる描写が続きます。(ウキナス・カナリュ)
個人的にこの物語の象徴的なシーンはリュウガとカナサシのやり取りかなと感じています。
少年兵時代に銃で人を殺したトラウマを看守長に掘り起こされ、自傷しながら「消えてしまいたい」というカナサシに、リュウガは「甘ったれるな!」と一喝します。
続けてリュウガは、
「生き残ってしまったなら、必死に生きるしかない。
生きる意味が見つからないなら、俺が夢を叶える姿を見ていろ。
俺が焼いたパンを毎日の楽しみにしろ!」
と言います。
銃で人を殺した経験のないリュウガにはカナサシの気持ちは一生わからない。
一見無責任な発言とも思えるけれど、
リュウガの素直な気持ちと、安易に共感できない立場からの精一杯の歩み寄りに綺麗事ではない本心を感じます。
そして、
すれ違った人の波に明日出会う君がいるかも
と歌がはじまります。
(演出家さん天才かよ!!歌詞に感情が追いついている……!)
ナスを諦めなかったウキショや、
カナサシに喝を入れたリュウガの働きで
絶望していた少年たちの心が解けていき、夢を持つ余裕を取り戻し始めます。
対立状態が続いていた赤青を繋ぐ架け橋となったタイショーは、リュウガとウキショが自分に関心を持ってくれたことをきっかけに心を開いており、
人との出会いの輪が前向きな勇気に繋がっている美しいストーリーに感動します。
■タイショーと看守長の表裏
少年たちが手を取り合って、前を向き始める美しい流れに感動すると同時に、
人が人を救っていくストーリーの中で
「人との出会いの輪」から外れてしまったのが看守長なのだろうと考えてしまうわけです。
看守長が家族を失って深く絶望し、ここまでの狂気を膨らませるまでの間に、
ナスにとってのウキショや、カナサシにとってのリュウガのような存在に出会えなかったのだろうと。
仮に寄り添ってくれようとした人がいたとしても、家族を失った悲しみが深く、優しさを受け入れるだけの柔軟さが持てなかったのかもしれません。
この辺りから、看守長がナスに当たりが強いのもなんとなく頷けるよな〜と思うのです。
絶望に対して頑ななところは自分に似ているのに、ナスには仲間がいて、ついにはウキショに救われてしまった。
そりゃイライラするよね〜(笑)
そして、
闇落ち状態の看守長と同じ状態だったんじゃないのかな?と推測できる人物がもう一人。
それは記憶喪失前のタイショーです。
そもそもタイショーっていつ記憶喪失になったの?犯罪を犯したのは記憶喪失の前?後?という謎があります。
この辺は最後まで明かされていないのであくまで仮定の話になりますが、
記憶喪失になり子ども返りしているタイショーには、揉め事を止める発言や、揉め事を止めるための行動(自分のパンと牛乳を差し出そうとするなど)が繰り返し見られるので、
生きるための盗みやそれに準ずる犯罪を犯すとは考えにくいなと思います。
なので、何かしらの犯罪を犯した後に記憶喪失になったのではないかと仮定します。
そう考えると、家族を失い絶望してしまったタイショーも、何かしらの罪を犯して記憶喪失になるまでの間に悲しみの置き場所になってくれる存在と「出会えなかった人」なのかもしれないと思いました。
そしてこの二人、整理すると同じ期間の情報が明かされていないんですよね。
【家族を失ってから刑務所に入るまで】
【家族を失ってから看守長になるまで】
の過去の情報が何もない。
ストーリーに必要がないから明かされていないのか、敢えて伏せているのか、最後まで明かされませんが、
タイショーと同じ境遇で、今まさに暴走している看守長の様子を見ると、記憶喪失前のタイショーの姿もなんとなく察することができるような気がします。
記憶喪失前のタイショーと看守長は鏡なのだろうなと思います。
ラストシーンのタイショーが警棒を振るい、ひまわりを切り裂いたシーン。
平和な日本で暮らす観客への警鐘と同時に、同じ闇を抱えた者として看守長に重ねられた「タイショーの過去の姿」という考え方もできるのかなと少し思いました。
■物語は進み、脱獄へ
看守長による悪辣な嫌がらせの動機と目的が
「妻子を殺した少年兵を囚人たちに重ね、危険な少年犯罪者を死ぬまで刑務所から出さないこと」だと判明。
ここにいたらヤバい!と少年たちは脱獄を計画し、ついに実行します。
脱獄の途中でタイショーは
誰も開けられなかった鍵を開け、どこからかカードキーを取り出す…
子ども返りしている人間とは思えない行動を取り続けます。
看守長に拷問をかけられていたナスをウキショが救出し全員が合流。
いよいよ脱獄まであと一歩というところで銃を持った看守長が追いかけてきます。
タイショーは
「俺が囮になる 僕が囮になるからみんな逃げて」と一人称を言い直し、囮を買って出ます。
そして、みんなの静止を振り払い
「みんなは僕の家族だから守りたい」という想いを伝え、看守長に撃たれます。
自分の過去を思い出したであろうタイショーは
「俺」が叶えられなかった【家族を守りたい】という夢を、
「僕」として叶えようと自ら銃に立ちはだかり、死にました。
このタイショーの行動、個人的には自殺と変わらないと考えます。
看守長がカナサシにナスを撃たせようとした姿や、看守長が過去を吐露し狂気を露わにした姿をタイショーも見ています。
そんな看守長が脱獄しようとする少年たちに向ける銃がただの脅しとはとても考えられません。
対抗する手立ても持たず丸腰で囮になる行為はあまりにも無謀です。
生きるため、
夢を叶えるために闇を突き抜けた5人
闇を突き抜けた結果、
夢を叶えるために死を選択したタイショー
闇の中を進み続け、
これから刑務所に入るであろう看守長
それぞれの結末を迎えました。
■タイショーとリュウガの異なるヒーロー性と少年たちの美学
リュウガの「生き残ってしまったなら必死に生きるしかない」という価値観と、
自分の夢を叶えるため自ら死に向かって行ったタイショーの行動は相反していると思うんですよね。
リュウガは、必要な相手には自分で焼いたパンを与えたいという考えはあるけど、
自分の身を削ってまで他人にパンを与えないし、それどころか欲望のまま人の分のパンまで奪おうとします(笑)
(人のパンを奪うような人物が、人との関わりを通して他者に分け与えたいという価値観に変わったっていう考え方もできるかな…でもリュウガは最初から割と一貫している気がする。パン奪いながらパン屋になりたいって言ってたし)
一方、タイショーは喧嘩が起きそうになると、パンだけでなく牛乳まで与えようとする。
自己犠牲の塊•••!
危険を犯して懲罰房に侵入し、パンを差し入れしたこともありました。
自己犠牲って美しく見えるけど、程度があるし根底にエゴが含まれる場合もある。
家族を守れなかった強い後悔がタイショーの夢【家族を守りたい】を形成しており、自分を犠牲にみんなを守ることで自分の心を救っている。
自己犠牲が結果ではなく目的になっている人間は!!まわりの人間の気持ちはまるで無視なんだよなア!!(聞いてるか火野映司お前のことだ)
タイショーのポジジョンにいる役(戸塚くん・京本くん・岩﨑くんの役)の死は慣例で、少年たちのエンディングはある程度決まっています。
そこで、
長年演じられてきた「少年たち」の自己犠牲の美学に、リュウガというアンチヒーロー的な要素がこっそり投じられているのかな?と思いました。
今からめちゃくちゃな暴論をいいますけど、
リュウガって設定が結構細かいんですよね。
虫が嫌いで、パンが好きで、後から刑務所に入所してリーダーになる・・・
なんか誰かさんにちょっと似てない??(笑)
演出家さんはインタビューで、
「一つを手に入れるには、何かが争わなきゃいけない、色んな形で争わなきゃいけないのはあるけど、命を落とすまでの事にするのはどうなの?ってやっぱり自分ですごい毎回考えてたんで。」
とおっしゃっていましたが、もしかしたらリュウガは演出家さんの価値観を担いだ登場人物だったりするのかな?と思ったりもしました。
元々演出家さんが担当していた「いつの時代も〜」ってセリフもリュウガに割り振ってるし。
(これはマジの暴論なので真に受けないでください)
■衝撃のラストシーン
個人レベルでのハッピーエンドにそれぞれ辿りついた少年たち。和やかな再会シーンは一転し、衝撃のラストシーンへ。
5人が憤った様子を挟むことで、様々な理由で絶望から立ち直れなかった少年たちのifの姿を描写し、
自己犠牲で散ったタイショーに物語上の悪の象徴である警棒を振るわせたことで、
きっかけさえあれば立場も入れ替わる可能性があることを戒めとして観客の心に刻みつけたのだと解釈しています。
現在進行形で平和な日本で暮らす観客への警鐘のような演出だったのではないかと認識しています。
■最後に
ここまで読んでくださりありがとうございました。
タイショーと看守長/タイショーとリュウガの対比が好みだったので掘り下げて考えてみました!
自分は好みの作品の傾向が著しく偏っていて、少年たちもかなり趣味に寄った解釈をしてしまってるので、
こんなこと考えてる人もいるんだな〜程度に思っていただけるとありがたいです。
このシーン、「私はこう思った」など聞かせていただけると嬉しいです。
好きなアイドルが作りあげた作品の世界観を楽しむことができる世の中に
そしてこんなに長々と作品のことを考えていられる平和な世の中に感謝!!
■おまけ個人的に気になる疑問点備忘録(円盤を待つ!)
・看守長はなぜ妻子が「少年兵」に殺されたと知っていたのか。証拠が残っていたのか、はたまた現行犯なのか?
看守長は自分も出兵しており暴力や殺人の経験があるはずなのに、
これだけ暴走しているということは妻子の死は少年兵による殺人ではあるが、戦争による殺人ではないのか?
(闇堕ちしてる人間に理屈は通用しないかもしれませんが)
・タイショーの服役理由
記憶喪失の設定がある人物が記憶を取り戻した描写があるにもかかわらず、過去が明かされないってかなり珍しくない?!
・タイショーっていつ記憶を取り戻したの?
・タイショーの墓参りのシーンで、刑務所が更地になっているのはなぜ?
「みんなが好き、刑務所が好き」と言っていたタイショーは死後、更地となった刑務所の跡地でひとりぼっちです。
どうして建物まで更地にして、ブランコだけ残したんだろう?!タイショーが可哀想すぎませんか?!
いろいろ考えたんですけど、タイショーがみんなの気持ちを無視して一人で勝手に死んでしまったからかなぁ・・・
ブランコってタイショーがみんなと交流を持つ前に一人遊びしてた遊具だし。
少年たち闇を突き抜けて/登場人物・出来事簡単まとめ
背景:ある日突然日本で戦争が始まり、2年後に終戦。日本が南北に分断された世界。生きるため犯罪を犯した少年たちが収監された刑務所が舞台。
●赤房(south)
タイショー:空襲で家族を亡くす。刑務所に入る以前の記憶が失く、子ども返りしている。
「家族」をトリガーに錯乱してしまうことがある。刑務所での生活で囚人仲間を家族のように大切な存在だと思うようになり、刑務所こそが自分の居場所と感じている。記憶が持たず思い出が無いため、青房にもらったノートに日記をつけている。
リュウガ:新入りなのにリーダーになりたがる。虫が嫌い。パン屋になるのが夢。
ウキショ:戦争前はナスとダンスをしていた。戦争が終わったのでナスと再びダンスがしたい。リュウガと共に刑務所へやってきた。
●青房(north)
カナサシ:元少年兵。銃で人を殺したことがあり、「消えてしまいたい」と思うほどに重いトラウマを抱えている。少年兵時代の経験により修理が得意。
ナス:戦争前はウキショとダンスをしていた。戦争の影響で再び夢を持つ気になれず、ウキショを突っぱねている。なにかと看守長に目をつけられがち。
フジイ:戦争前は考古学の勉強をしていた。体の弱い弟のために早く出所したい。服役中に特殊な血液型(Rh−)を持つ弟の病状が悪化し手術が必要になる。同じ血液型を持つ自分の血液が緊急で必要になったことが脱獄の動機。
●看守長
元々は子の誕生を待ちわびる普通のサラリーマンだった。戦争時は出兵しており、戦争から帰ってきたら、少年兵によって妻子が殺されていた。
現在は少年刑務所の看守長。(すごい転職だな?!)
カナサシの過去やナスの夢を知っていたことから、少年たちの犯罪歴だけでなく詳細な来歴や性格も知っている様子。
少年たちに執拗な嫌がらせや折檻を繰り返す。
妻子を殺した少年兵を刑務所にいる少年犯罪者に重ね、刑期を強引に伸ばしてでも死ぬまで塀の外から出さないことが目的。並々ならぬ狂気を抱えている。
■リュウガとウキショ刑務所に来てからの1幕の流れ
起 リュウガとウキショがやってくる。刑務所内はSouthから来た赤房とNorthから来た青房で対立している。
承 タイショーを起点に少しずつ赤青の対立が緩和。絆が芽生え、絶望していた者たちが前を向き始める。
転 フジイの弟の病状悪化の報せが届く。更に少年たちを痛めつける看守長の目的が「死ぬまで少年たちを刑務所から出さないこと」だと判明。
結 ここにいたらヤバい!脱獄しよう!
■2幕の流れ
脱獄計画実行→タイショーの死→看守長の悪事が露呈し、大幅に刑期が短縮され出所→出所後→ラスト
少年たち闇を突き抜けて正直レビュー
舞台って当たり外れが本当に多い!
自分もそれほど多くの舞台を観劇してきたわけではありませんが、「早く帰りてぇ〜」と白目を剥いた舞台もあれば、カーテンコールで「全ての関係者に惜しみない拍手を贈ろう・・・」と心から思った舞台もあり様々です。
個人的な舞台の評価基準としては、
作者の主張が伝わり、ある程度ストーリーに一貫性があり、最後まで飽きさせないものに当たるとラッキー!!
あとはキャストの演技や歌が+αでうまかったり、伏線回収やオチが丁寧だったり、どんでん返しがあったりetc…で付加価値がついていく感覚です。
で、今回の岩本照演出の少年たちですが、
とにかく
飽きさせない!見やすい!わかりやすい!
これが徹底されており、
さらにラストには全ての観客の心に衝撃を植え付けるギミックまで施されるという最高のお土産まで用意され・・・感無量でした!!
では、素人なりにどういったところに工夫を感じたのか書いていこうと思います。
※構成・演出:岩本照とのことですが、多岐に手掛けているらしいので、ここではキャストの演技以外オールジャンルで「よかった!」と思った点を挙げていこうと思います。
●聴覚を刺激されて飽きることができない!
BGMから劇中歌まで音の緩急がとても細かく感じました。
劇中歌では
(掛け声的なセリフ)→ガンっと音量が上がる前奏→歌い出し
の形が何回かあったと記憶しています。(俺たちは上等・闇を突き抜けてなど)
このように歌パートと芝居パートのメリハリがつくと、強制的に引き込まれるし、テンポがよくて集中力が続くんですよね。
これはテニミュでもよく見掛ける劇中歌への導入だなと思います。
ウキショ君ナス君のボイラー掃除のシーンはライティングまでテニミュを感じました。
岩本さんがテニミュを参考にしているかは別として(私の引き出しと偶然一致しただけ)、色々な表現方法を学んだのだろうと感じた部分でもあります。
芝居中のBGMや効果音もずっと緩急がつけられており、飽きることができない(笑)
特に印象に残っているBGMは、カナサシ君が看守長にナス君を撃てと命令されるシーンです。
看守長の「やれ!」(セリフ違うかも)を合図にBGMがカナサシ君の心拍音に切り替わる演出は臨場感たっぷりで痺れました!!
こんなの夢中で感情移入しちまうよ!!
また曲と芝居パートのバランスがしっかりミュージカルでしたよね!
個人的に過去作は芝居とその他(歌・コント・バンドなど)の配分が少し偏っていたように感じます。
それはミュージカルや舞台というよりは、ショーの側面が強い故の演出だと思うので、どちらが良いという話でもないのですが。
今年の少年たちは、より一般受けしそうな形式をとっているなと感じました。
感情の昂りから歌への流れが自然で、美少年やジュニアの子たちの歌唱力と相まって最高のミュージカルになっていたと思います。
美少年たちみんな歌うますぎないか?!
●視覚的なわかりやすさ
序盤の平和なシーン、スクリーンに写した背景を動かすことで登場人物たちそれぞれの生活の一部を同時に表現しているのがスタイリッシュすぎる!
看守長と他の看守たちの衣装をガラリと変えているのも観客に優しいと思いました。探す手間がなくて親切!
こういう当たり前に感じるところにホスピタリティーを感じるのです。
暗転したときのステージのバミリの蓄光の並びが、夜の飛行機から見下ろした街にも見え、爆弾を落とす側の視点を与えられているようで胸がしめつけられる気分も味わいました。
これは私の感受性が過剰すぎただけかも(笑)
●登場人物への共感しやすさ
過去の円盤3作共通で描写の甘さが気になったところ第一位は看守長のバックボーンです。
舞台版2作は言及されていないし、映画版は共感に足る理由ではないというか。(非道な描写も弱く浮いた存在に・・)
現代の物語で理由のない悪ってなかなか無いですよね。メタ的なことを言えば話も膨らまないし・・・。
今作では看守長にバックボーンがあり、悪の動機が生まれたことが大きい!!
看守長だって戦争が始まる前は、身重の妻を気遣い子供の誕生を待ちわびる優しいサラリーマンだったのです・・・。
普通の人だったのに、ある出来事をきっかけに己の正義を暴走させ、弱いものへの八つ当たりに逃げ、罪を償ったところで今後も苦しみから逃れられることはないだろう・・・
というところまで描写してくれたのはヒールキャラへの愛を感じました。
ただ私はヒールキャラが好きなので、スピンオフで救済の入り口まで見てみたい気もします。(そのときは岩本演出で!)
「生きていれば。必ずいいことあるって。」
彼には重すぎる言葉だと思いますが、恐らく彼はまだ生きていますからね。
余談ですが岩本さんは過去にアンパンマンとバイキンマンの関係について
「そもそもパンを作るのには酵母菌っていう菌がいないと作れないから。だからあいつら、あぁいう感じに見せて、実はめっちゃ仲良いんじゃない?」
「あいつらも普段から『やめろ〜!』っていう相手がいなかったら、することないから。」
って言ってた方なので善悪や表裏への解釈が深い(笑)オタクの着眼点すぎる(笑)
(TVガイド 2019/8/9号)
他の登場人物たちについても説明セリフを使わず、会話の流れや独白で情報開示していた点が感情移入しやすかったです。
あと散々ツイートでも言ってますが、過去作の浮いた設定たちに理由を与えて本筋に無理なくくっつけてるのが律儀でした。設定たちも活かしてもらえて喜んでるはず!(笑)
突然湧いて出た日記帳ではなく、敵対チームと打ち解けた証の日記帳
(※映画版では戸塚君から譲り受けています)
動機不明の嫌がらせで仕込まれたハサミではなく、ワンチームとして結束するための布石となったハサミ
など!
過去作で唐突に感じた設定は大体岩本さんが整備してくれています。感謝!
あとは、作中の時間を進めながら少しずつ赤青の和解を進めていったのが丁寧な仕事だと感じました。
「タイショーと誰か」だけじゃなく「ウキショとナス」「リュウガとカナサシ」など色々な人間関係の修復を進めることで展開が飛ぶ感覚もないし、和解への十分な積み重ね実績となって一致団結のカタルシスが生まれたなと思います。
●そしてあの衝撃のエンディングへ続くわけですが
ここまで几帳面に物語を作り上げながら、最後の最後に観客の心をぶったぎる!(笑)
全ての観客は、今後少年たちのロゴを目にするたびに同じ1シーンを思い出す呪いをかけられてしまいましたね。
しかも考察の余地まで与えるじゃん・・・! 最後までチョコたっぷりかよ。
ラストシーンの話は別で何か書こうか迷います
正直ここまで期待していなかったです。
もちろん岩本さんがプロデュースした楽曲、MV、振付に触れるたび世界観がしっかりしていて、コンセプトを大事にされる方だなとは思っていたけど。でもMVと舞台じゃ勝手がまるっきり違うだろうし。
こんなのもっと色んな作品を見たくなっちゃうよ〜〜
岩本照プロデュース・岩本照主演作品とかサ!強欲すぎますかね!?
総評:大当たり舞台でした!!!!!!
素人目に見てもこだわりの強さをひしひしと感じるので、美少年をはじめとするジュニアの子たちはさぞ大変だったことでしょう。
特に美少年たちの歌声は少年たちの感情の説得力に何役も買っていたと思います。
岩本さんの世界観を表現して俺たち観客に見せてくれてありがとう!!